ミッズと私


・・なんか小学校で書く作文のようなタイトルですねぇ・・これは。「お父さんとわたし」みたいなノリで・・(^^;;;
ま、いっか。元々レ・ミゼラブルに興味を持ったのはそりゃ〜もう大っ好きな山口祐一郎さんがジャン・バルジャンで出てたから・・。それでいざ読み出してみるとまぁ中々にいい話で途中でこれに絵とセリフが入ってようもんならあたり構わず泣き出してるんじゃないか・・な勢いで(/_;)グシグシとはいっても1度挫折したこともあったけど。まぁそれはさておき、本読んであれだけ感動したのって久しぶりでした・・しあれ以降あんだけ感動したのも少ない気がします。

この作品のどこがいいかっていうとまず第一に登場人物たちは悲惨な(ミゼラブルな?)環境の中、決して幸せとはいえない人生を送っているのだけどみんな一生懸命生きてるんだよね。みんなどろどろした部分を心の中にもっているんだけどそれでも一生懸命生きようとして、その姿がとても綺麗だと思う。

あとはやっぱりみんな自分の行き方を妥協せず貫き通そうとしているところ?かな。バルジャンも自分に似ている人がつかまったとき知らんぷりしていれば自分は助かるけどその人を助けるため裁判上で自分がバルジャンだと告白するところやアンジョルラスの革命を起こそうというところ、ジャヴェールがバルジャンに助けられて心が動かされる、でもそれでも受け入れられない姿に逆に彼がそれまで自分のやっていることが正義だと信じてやってきたかが伺われて不器用だとも思いつつこれらのシーンには心打たれるものがあります。

基本的に上の二つからはずれてる気がして、マリウスは私の中で毛嫌いされちゃうんだけど(汗…大人のコゼットもその傾向アリ)彼がバルジャンが犯罪者と知って冷たい対応とったりずいぶんフラフラしてるその辺のただの学生っぽかったりするところもこの本の中ではかかれないくらい先のところでバルジャンの後継者としてバルジャンがミリエル大司教に救われた後のように生まれ変わるのではないかな?と思われます。

まぁそれはさておきまぁ大きく分けるとその2つかなーと思われます。多少難しいところもあるけれども昔の小説というだけでなく私たちは比較的裕福な国に生まれてると思ってるけどこの作品の序文にもあるように国が違えばファンティーヌのように女性は身を落として、バルジャンのようにやむ終えず犯罪のようなものに手を出さなきゃいけなかったり子供コゼットみたくいじめられこき使われしてたり、まさにこんな状態の国もあると思うんだよね。ていうか自分の身の回りでないだけでor気づいてないだけであるところにはあるのかもしれない。そう考えると決して他人事ではなくて人間がこの問題から逃げることはできないのでしょう。でもそんな中でも彼らのように一生懸命に生きていけたらな、と思ったり、そこまで考えなくても勇気付けられ、励まされます。



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